「古曲を知る」シリーズ第36回 河東節を知る会
2012年2月13日(月)開催
午後2時(終演予定 午後4時頃)
会場:紀尾井小ホール
入場料:3,000円(自由席)
出演・曲目:
一、 七重八重花の栞
浄瑠璃:山彦ちか子、山彦幸代、山彦ゆかり/三味線:山彦佳子/上調子:山彦朋子
二、 秋の霜
浄瑠璃:山彦久江、山彦音枝子、山彦敦子/三味線:山彦千子、山彦奈加/上調子:山彦恭子
三、 式三献神楽獅子
浄瑠璃:十寸見東治、十寸見東裕、十寸見東純、十寸見東染/三味線:山彦良波、山彦青波、山彦暢波/上調子:山彦登
お話:竹内道敬(前国立音楽大学教授)
主催・問合せ:財団法人 古曲会(電話・Fax:03-3348-5021/メールはこちら)
後援:日本伝統文化振興財団
公演目的・ひとこと:
やさしい解説と名演奏によって古曲を知り、楽しむ会です。江戸時代から続く伝統ある三味線音楽を正しい形で後世に残していくためには、定期的に演奏会を開催していくことが最善の方法と考えております。(お問い合わせ・チケットのお申し込みはファクシミリ又はeメールをご利用ください。折り返しご連絡いたします。)(主催者)
公演内容:
【河東節を知る会 曲目解説】
「花の栞」は正しくは「七重八重花の栞」といい、文化9年(1812)に七世十寸見河東が隠居して二世東雲と改名した披露の会で初演されたものです。
当時の風潮にしたがって、内容は吉原の遊女のことを花に例えて語っていますが、驚くのは歌詞の中に「吉原や、江戸の女は山桜・・・ここを逃れてまたほかに、花の世界があるものか」と、吉原をたたえていることです。改名披露の曲なのですが、51歳でめでたく隠居とは、うらやましい限りです。
「秋の霜」は追善のための曲です。九世十寸見可慶の妻の山彦文子が安政5年(1858)8月に亡くなったので、その年の11月に作られたものです。幕府の御連歌師亀岳(同じく河東節「葵の上」を作詞)の作詞で、五世山彦河良作曲。江戸時代末ごろには、河東節では追善曲を作るのが流行(?)しましたが、この曲はその一例です。故人の住んでいた駒形あたりを中心にした内容ですが、難しい言葉が多く使われています。故人を偲ぶ気持ちがよく表れています。
「式三献神楽獅子」は大変に古いもので、享保7年(1722)正月江戸中村座で初演されたものです。河東節が創始されたのが享保2年(1717)2月のことですから、5年目の事です。
『歌舞伎年表』によると二代目市川團十郎が淀屋辰五郎本名時宗となり、「猩々」の謡いで酒の酔の出。そしてこの河東節になったとあります。さらに團十郎が作詞し、初代十寸見河東が節付、同じく初代山彦源四郎が三味線の手を付けたとあります。
『江戸節根本集』には、この時の獅子を真似た玩具がたいそう売れたとありますが、どんな獅子だったのでしょう。なお、この時の曽我五郎は大当たりで、10月まで続いたともありますが、本当でしょうか。いずれにせよ二代目團十郎の曽我五郎は当たり役でした。
もとは上下にわけられ、上は「神楽の段」で、二代目團十郎が淀屋辰五郎に扮した部分で、虎御前との婚礼の様子です。これは廃曲。今日まで伝承されているのはその下の「忍びの段」です。内容は虎御前が『十二段草子』の夢を見ている所から始まり、あとはその趣向を活かして床入りまでを述べています。古い曲ですが、三味線の手に何ともいえない面白さがあり、こんな古い曲が残っていたのは奇跡といってもいいでしょう。河東節で残っている2番目に古いものです。
なお『十二段草子』というのは、源義経が牛若丸だった時、金売吉次にしたがって奥州へ赴く途中、名古屋近郊の矢作(やはぎ)の宿での、浄瑠璃姫との恋物語で、江戸時代には大変人気のあった物語です。
二代目市川團十郎作詞というのが一つのポイントです。
(古曲会 竹内道敬)