公演情報

藤井昭子 地歌Live 第三十三回

2007年4月 9日(月)開催

(東京新橋・28's Live)

好評につき今回で33回目を数える、藤井昭子師の地歌Liveは、今年より会場を新橋のビクタービルの地下ホールに拠点を移し、再スタートしました。母であり芸の師である藤井久仁江師との共演の模様を当コーナーで昨年4月にレポートしており、ちょうど1年という月日を経た、昭子師の新たな心意気を感じさせる地歌Liveの模様をお伝えします。

文:笹井邦平

新たな空間で

生田流箏曲の藤井昭子(ふじいあきこ)師は2001年より2、3ヶ月おきに定期的にライブを開き、昨年まで6年間計31回こなした。会場は再開発されたJR新宿駅南口の小さなイタリアンレストランのホール。2、3人乗ればいっぱいの小さなステージをコの字型に客席が囲み、70人も入れば人いきれでムンムン、演奏者と聴衆の距離は2m弱という超過密空間。演奏者の実力がストレートに顕れるシビアな環境で昭子師は実力を培い、それが2004年のリサイタルでの文化庁芸術祭新人賞の受賞へ繋がった。

『源氏物語』をモチーフに

photo-a.jpg和やかな空気に包まれる会場
左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師

そのトレーニングジムのようなホールから会場を今年から新橋のビクターのビルの地下のホールに移して再スタートを切った。ここは前の会場の2倍近いキャパシティがあり、音の響きもダイレクトではなく周囲の壁からの跳ね返りがあって深みが増し、アンサンブルを楽しむことができるようになった。

photo-b.jpg藤井昭子師の箏弾き歌いによる「菜蕗(ふき)」

ここでの今回2回目のライブは今年のテーマである〈箏組歌(ことくみうた)〉より「菜蕗(ふき)」と〈手事物(てごともの)〉より「新青柳(しんあおやぎ)」を選曲した。奇しくもともに『源氏物語』をモチーフとして光源氏の青春と40代での挫折を漂わせている。

〈箏組歌〉は和歌などを何首か組み合わせた歌詞で綴る地歌のジャンルである。「菜蕗」は昭子師の箏弾き歌いで淡々とした調べの中に宮中の舞楽や月夜の忍ぶ恋が歌い込まれ、平安の雅の世界へいざなわれる。

photo-c.jpg三曲合奏による「新青柳」
左:砂崎知子師 中央:藤井昭子師 右:徳丸十盟師

「手事物」は歌の間に長い手事(間奏)を1つか2つ入れるいわば器楽のアンサンブルを聴かせるジャンルである。「新青柳」は昭子師の三絃(さんげん・三味線)と砂崎知子(すなざきともこ)師の箏と徳丸十盟(とくまるじゅうめい)師の尺八による三曲合奏。ステージに登場した昭子師が撥を忘れて楽屋へ取りに戻るというハプニングがあり、会場は和やかな空気に包まれる。

歌の間の2つの手事は昭子師の深みのある三絃と砂崎師の華麗な箏と徳丸師の柔らかな尺八が見事にマッチし、聴衆はオーケストラを聴くような音の厚さと深さに酔いしれる。

母を背負って

photo-d.jpg自ら観客に語りかける昭子師

昭子師の今宵の衣裳は桜の花びらをあしらった朱鷺色の着物、これは昨年4月のライブで母であり芸の師である人間国宝・藤井久仁江(ふじいくにえ)師が着ていたものである。久仁江師は病を押して「筆の跡」を昭子師と合奏し、5ヶ月後の9月に亡くなられ、これがこのライブでの最後の母娘共演となった。

私はこのコーナーにレポートを書くために臨席し、この親から子への命を賭した古典芸の伝承の場の証人となった。今宵昭子師の母を背負っての演奏は私の瞼に焼き付いている1年前あの2人の舞台姿を鮮やかに蘇らせた。

これを節目として新たな芸境を切り拓こうとする昭子師の芸魂がメラメラと燃え盛るのを私はしかと見た。

親から子へ師匠から弟子への芸の伝承、この世襲制及び家元制度が邦楽における芸の伝承を確実に支えていることは事実である。

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。