公演情報

奄美しまうたの心 武下和平の芸術 第22回〈東京の夏〉音楽祭2006「大地の歌・街角の音楽」日本音楽のかたち—(二十三)

2006年7月12日(水)開催

(〜13日/東京四ッ谷・紀尾井小ホール)

今年で22回を数える〈東京の夏〉音楽祭。“大地の歌・街角の音楽”というテーマをもとに12種類のイベントや公演が1ヵ月近くにわたり行なわれました。そのなかのひとつ、「日本音楽のかたち」という切り口で行なわれた、奄美しまうたの心を伝える武下和平さんの公演をレポートします。

文:笹井邦平

ピュアなしまうたウォッチング

〈しまうた(島唄)〉は鹿児島県奄美諸島や沖縄県で三線(さんしん−三味線)で弾き唄いする民謡である。1992年沖縄の〈しまうた〉の要素を採り入れたTHE BOOMの「島唄」がヒットしたが、奄美と沖縄ではその成立の背景は異なっているようで、奄美と沖縄の〈しまうた〉の違いを見極めるべく、初めて聴く潮の香り芳しい奄美の唄に心の躍りを抑えつつホールへ向かった。

 この公演は(財)新日鐵文化財団が主催する紀尾井小ホールの月例公演の1つで徳丸吉彦放送大学教授の監修・解説による〈日本音楽のかたち〉シリーズの一環として開催された。

望郷とララバイ

photo_a.jpg
右から武下和平さん、武下かおりさん、冨内純子さん、日高三郎さん

演奏は《奄美島唄》の大御所・武下和平(たけしたかずひら)師、《はやし(ことば)》は息女の武下かおりさんと冨内純子さん、太鼓は日高三郎さん、そして奄美・沖縄民謡に欠かせぬ《指笛》は東京奄美会会員が勤める。

幕が開くと金屏風一双(2枚)をバックに緋もうせんの上に椅子掛けで武下師とかおりさんが並び、軽快だが音締(ねじめ−音程・調弦)のしっかりした三線に乗って「ほこらしゃ」「ヨイスラ節」「しゅんかね節」「とらさんながね」「そばやど」が演奏され、間に徳丸教授と武下師の対談形式で奄美の地理や生活・島唄の歌唱法・三線の解説などがなされる。

歌詞は八八八六や七七七五などの配列で一の絃を基音とし、1曲ごとに調子笛で調弦して曲想を明確に伝えてゆく。武下師の呂(りょ−低音)の声が骨太い島民のバイタリティーを醸し、甲(かん−高音)の声と裏の声が歓びを表し、そこへかおりさんの〈はやし〉が華を添える。

武下師によると「同じタイトルの唄でも地域によってメロディーや歌詞も全く異なり、村落ごとに地域限定のオリジナルの唄がある」という。〈島唄〉の〈島〉は故郷を意味し、〈島唄〉とは島民の生活の中で生まれ育まれた故郷の唄であり、子守唄(ララバイ)でもあるのだ。

現在も専業または兼業の島唄ミュージシャンは多く、コンクールもありその受賞者で後に全国デビューしたのが元ちとせさんである。

うたはマスコミ・ライブラリー

2部は「長雨(ながむぃ)きりゃがり節」「徳之島(とくのしま)節」「かんてぃむぃ節」「上れ立ち雲節」「一切朝花(ちっきゃりあさばな)節」「六調」が演奏される。

「徳之島節」は地元徳之島では「犬田布(いんたぶ)節」と呼ばれ、幕末に薩摩藩の過酷な砂糖政策の犠牲となり無実の罪で拷問された仲間を救出するため蜂起した犬田布岬の農民一揆が唄い籠まれている。「かんてぃむぃ節」は豪農の家に奉公に上がり主人夫婦にいじめられ恋人との仲も裂かれて自殺した娘の話をモチーフとしている。

武下師によれば「ラジオ・テレビのない島では事件や事故は唄に残して風化させずに子孫に語り伝えた。だから『唄を知らない者は腐った卵』だと云われる」という。島では唄はマスコミでありライブラリー(図書館)なのだ。

ラストはブレイク

photo_b.jpgphoto_c.jpgphoto_d.jpg
聴衆も舞台に上り、踊る

悲しい物語の後「上れ立ち雲節」からは〈はやし〉のかおりさんと冨内さんの唄が入り、武下師と掛け合いで太鼓と指笛も加わって賑やかになる。「一切朝花節」では聴衆が舞台に上って踊り客席も手拍子に湧く。そしてトリの「六調」は総踊りとなり徳丸教授や紀尾井ホールの林支配人も参加し老若男女20数名が軽快なリズムに乗って踊り狂う。

不屈の精神の歴史

親類や近所の人たちが集まり酒盛りに唄が入り最期は総踊り−というパターンは沖縄民謡と似ていて、根は繋がっていながら地域の格差で生まれた文化の温度差が見える。

沖縄も奄美も江戸・明治から戦後までの政治的な支配と弾圧に耐え、そして台風の通り道と云われる厳しい自然との闘いを生き抜いてきた人々の不屈の精神の歴史がその唄と三線に深く刻印されているように私は想う。

( 7月13日 Cプログラム所見 )

写真<撮影:竹原伸治/提供:アリオン音楽財団>

武下和平(たけした かずひら)
kazuhira_take.jpg

昭和8年、奄美大島郡瀬戸内町生まれ。小学校の頃からしまうたが好きで父や従兄弟叔父にあたる福島幸義氏に詩吟やしまうたを師事し、青年時代は古仁屋に出て働きながら奄美民謡を研究。昭和36年、文部省主催の芸術祭に出演以降数多くの公演、テレビ出演、レコード、CD、ビデオが発売されて一躍有名となり「奄美民謡武下流」を打ち立てる。平成8年にはしまうたを芸術まで高めたことが認められ「尼崎市民芸術賞」を受賞。沢山の門下生を養成し、奄美民謡界「百年に一人の唄者」と称され、多くのしまうたファンを魅了し続けている。

武下かおり(たけした かおり)
kaori_takeshita.jpg

昭和31年奄美大島瀬戸内町古仁屋に父・武下和平の長女として生まれる。昭和61年兵庫県神戸市に両親とともに転居。平成14年奄美民謡武下流門下生として正式入門。平成16年父・和平の相方として特別出演。以降、父和平の相方として各イベントに参加しながら研鑽中。

写真<撮影:竹原伸治/提供:アリオン音楽財団>

笹井邦平(ささい くにへい)

1949年青森生まれ、1972年早稲田大学第一文学部演劇専攻卒業。1975年劇団前進座付属俳優養成所に入所。歌舞伎俳優・市川猿之助に入門、歌舞伎座「市川猿之助奮闘公演」にて初舞台。1990年歌舞伎俳優を廃業後、歌舞伎台本作家集団『作者部屋』に参加、雑誌『邦楽の友』の編集長就任。退社後、邦楽評論活動に入り、同時に台本作家ぐるーぷ『作者邑』を創立。